tubomaru-world

2006年4月27日ブローチでブログ開始。 2014年3月26日ライブドアに移転。 音楽、読書、健康etc、いろいろ書いてます。

2008年07月

 AJP20 1977年に入りました。

 「二人だけのデート」に変わってトップに立ったのはクイーン「愛にすべてを」です。
 2月1・2週の2週間1位、年間8位でした。
 これも彼らの曲では好きなほうです。 サビの部分♪somebody to loveの繰り返しは気分が高揚する感じでなかなかイイです。


オール・ジャパン・ポップ20 

 ここ数年、温暖化対策と経費節約とで冷房温度を高めに設定する意識が広まってますよね。
 官庁、公的施設、民間企業、そして一般家庭も28度くらいに設定しているところが多いみたい。

 とはいっても室内勤務の方、自営業の方、専業主婦などは冷房の中にいる時間がかなり多いですね。 外はかなり暑いので自覚していない人が殆んどですが、この時期は冷房や冷たい食べ物で体が冷えている事が多いのです。
 うちの鍼灸院にも夏場になると冷えが原因と思われる急性の頚肩痛・腰痛の患者さんが増えます。

 熱中症の危険もあるので冷房をいっさい使わないのも良くないですが、一時的にエアコンを切るとか、食事には火を通したメニューを1品は摂るとか、たまには温かいお茶を飲むとか、少し気をつけるといいと思います。

 「沈まぬ太陽」のエンディングがやたら気になる終わり方だったので、この小説や主人公のモデルになった人、日本航空について等、何かネット上でないかと探していたら、こんなサイトを見つけました。
ここ

 但し小説を読んでいない人が見てもチンプンカンプンです、あしからず。

 上記サイトは航空機業界担当の記者が、小説に登場した何人かのモデルになった人たちに取材した内容を記載したものです。
 小説の内容と作者・山崎豊子を痛烈に批判しています。 取材を受けた方々も、内容は事実とはかなり違うと話しています。
 
 作者はあとがきの中で”事実を取材して小説的に再構築した人間ドラマ”と書いています。 もちろん僕も100%事実のノンフィクションだなんて思って読んではいない(きっと他の読者もそうだと思う)、小説なんて多かれ少なかれそんなもんじゃないの、って思うけど。
 
 上記サイトの記者が何故そんなに批判するのか理解に苦しみます。 うがった見方をすれば業界担当の記者だけに、業界擁護のためにこのサイトを立ち上げた、なんて思ったりもしてしまいますねー。

 作者は御巣鷹山事故の遺族にも取材をしているのだから、小説にする了承は得られているのだろうし、日航も訴訟を起こした訳でもないし、むきになって批判する事は無いと思いますけど。
 僕は読み物として純粋に楽しめればそれでいい。

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 ようやく全5巻を読み終えました。 いや~長かった、けど読み応えがありました。

 会長室編のあらすじは
 御巣鷹山事故を起こした国民航空はマスコミや国民から鋭い非難を浴びる。
 政府も出資している特殊法人なので時の総理は会社再建に向けて社外から新会長を就任させた。
 当時の国民航空は、会社の行った懐柔策で組合は4つに分裂、主人公・恩地が委員長をしていた旧労組は弱小化され、会社側の言いなりになる新労組が大きな組織になっていた。
 昇給・昇格も新労組有利になっていて、空の安全第一を掲げる旧労組との組合間の対立は激しくなっていた。
 新会長・国見は母体である会社で労使一体政策を成功させた実績を買われての就任だったが、国民航空の組合問題は深刻であり、国見が掲げた労組統合は会社の利権を我が物にする新労組幹部とそのOBによって妨害される。
 遺族係をしていた恩地はその誠実さと芯の強さを国見に買われ、会長室部長として国見の改革の補佐、そして新労組幹部・OBの不正・放漫経営などを暴いていく。
 しかし政官界と癒着している抵抗勢力は国見を更迭に追い込み、恩地は再びケニア・ナイロビ勤務となってしまう。
 この一連の動きの陰で、抵抗勢力の使い走りをさせられていた職員がうつ病になり自殺してしまうが、この男は死の直前に自分がやらされていた内容をメモしたノートを東京地検特捜部に送っていた。 

 恩地がケニアへ出発する、時を同じくして特捜の捜査が始まる、というところで小説は終わりでした。
 主人公・恩地のモデルになった方はその後どういう人生を歩んだのか、特捜の捜査はどこまで腐敗を追及できたのか、すごく気になる終わり方でした。


 今回のother hitsはイギリズ音楽界の大御所、トム・ジョーンズです。
 最近は名前を聞きませんが90年代までは活躍していました。 

 まず1曲目は60年代のヒット「ラヴ・ミー・トゥナイト」、AJP20では69年10月2・3週、11月1・2週のトータル4週間1位 年間5位にランクされました



 

 続いては「シーズ・ア・レディ」。
 71年6月1週3位まで上がりました。 彼の曲ではこれが一番好き。



 

 最後は90年代のヒット「恋はメキメキ」、残念ながらこの頃の資料は無いのでリリースされた年と最高位は忘れてしまいました。
 記憶ではベストテン入りはしていたはず。 年を重ねてもパワフルな歌声は健在です。 それにしても90年代の曲なのに70年代っぽい邦題に笑ってしまいます。




オール・ジャパン・ポップ20 

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