AJP20 84年
「ゴーストバスターズ」の連続1位を途中で止めたのがこの曲です。 スティービー・ワンダー「心の愛」。
82年のポール・マッカートニーとのデュエット「エボニー&アイボリー」以来の1位。
70年代からコンスタントにヒットを飛ばし、チャート常連のスティービーですが、このチャートでソロとしては初の1位です。
以前にも一回取り上げましたが(→こちら)歌詞が素敵な曲です。
11月1週に1位になりましたが、翌週には「ゴーストバスターズ」に抜き返されました。
Tag:スティービー・ワンダー
AJP20-1982年 「エボニー・アンド・アイボリー」
AJP20 82年
「ビギン・ザ・ビギン」に変わりトップに立ったのは ポール・マッカートニー&スティービー・ワンダー 「エボニー・アンド・アイボリー」 です。
この組み合わせを聞いたときは驚きました。 どんな風になるんだろうと期待と不安が入り混じった気持ちで初めて聞いた時は、さすが大物同士は違うなって感じでしたね。 お互い相手を邪魔してないというか自己主張し過ぎてなく、みごとにマッチしている。
後はマイケルともデュエットしてソロになって新しいことにチャレンジしたポール。 いつも音楽ファンを喜ばせてくれる人です。
5月5週~7月2週・4週のトータル8週間1位にランクされ年間1位になりました。
同時期のヒットを1曲。
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース「ビリーヴ・イン・ラヴ」 です。
アメリカの陽気なオジサン、ヒューイ・ルイスのゴキゲンなナンバー。 この人の歌を聞くと元気が湧いてくる感じがします。
最高位は7月1・2週の4位、年間18位でした。
AJP20-1974年「悲しきマリー」
AJP20 74年最後のNo.1ソングです。
ミッシェル・ポルナレフ 「悲しきマリー」、12月2週~5週まで4週連続1位でした。
74年は「愛の伝説」から始まったので最初と最後がポルナレフということになります。 そして「僕はロックンローラー」「悲しみのロマンス」と、合わせて4曲が1位になりました。 凄まじい人気振りでしたが、この「悲しきマリー」が彼の最後のNo.1ヒットでした。
こちらで → 試聴 できます。
続いてはヘイウッズの 「悲しみのヒーロー」、最高位は12月1・2週の2位、年間20位でした。 ぺーパー・レイスというバンドとの競作でした。
入隊したビリーに”ヒーローにならなくていいから無事に帰ってきて”と願う恋人の思いを歌った反戦歌、でも曲調は明るいマーチっぽいリズムです。
(映像はボー・ドナルドゾン、ソロバージョン)
続いてはスティービー・ワンダーの「悪夢」、12月3週の2位が最高位です。 「迷信」に続いて「悪夢」。 この二つの邦題に当時の僕は、彼に対してブラックマジック的なイメージを持ってしまいました(笑)
75年のグラミー賞の映像がありましたのでご覧下さい。
最後はエリック・クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」、11月4週・12月1週に5位まで上がりました。
この曲で初めてレゲエというジャンルを知り、ボブ・マーリーの存在を知りました。
レゲエが全て好きと言う訳ではないですが、この曲は何ともいえぬ心地よいリズムです。
AJP20-1973年「幸せの黄色いリボン」
AJP20 73年
カーペンターズに続きトップに立ったのはドーンの「幸せの黄色いリボン」、6月2週から7月1週まで4週間1位、年間6位でした。
この曲はアメリカ・ジョージアの田舎町で起きた実話をもとに書かれた作品です。
詐欺罪で逮捕された男が刑期を終えて帰ってきた時、もし待っていてくれるなら町の角のオークの木に黄色のリボンを結んでおいてほしいと妻に告げた。 帰ってきた時木には黄色いリボンが結ばれていて妻は待っていた。
という内容。 日本でもこの話を元に「幸せの黄色いハンカチ」という映画が作られました。
続いてはギルバート・オサリバンの「ゲット・ダウン」、最高位は6月4週の2位、年間20位でした。 それまでの曲とは変わってノリの良いポップロックになっています。
最後はスティビー・ワンダーの日本での出世作と言っていいと思います。
「迷信」 最高位は6月3週の6位でした。 オール・ジャパン・ポップ20を聴き始めて3年目、毛色の変わった曲がチャートに入ってきたという印象でした。