AJP20 1983年のチャート紹介に入ります。
83年最初の1位はダリル・ホール&ジョン・オーツ 「マンイーター」でした。
日本でも人気の高いデュオで多くの曲をベストテンに送り込んでいますが、このチャートでは初の(僕が知る限りでは唯一の)ホール&オーツの1位曲です。
チョット妖しげなイントロが魅力的ですね。
1月2・3週の2週間1位になりました。
2006年4月27日ブローチでブログ開始。 2014年3月26日ライブドアに移転。 音楽、読書、健康etc、いろいろ書いてます。
AJP20 1983年のチャート紹介に入ります。
83年最初の1位はダリル・ホール&ジョン・オーツ 「マンイーター」でした。
日本でも人気の高いデュオで多くの曲をベストテンに送り込んでいますが、このチャートでは初の(僕が知る限りでは唯一の)ホール&オーツの1位曲です。
チョット妖しげなイントロが魅力的ですね。
1月2・3週の2週間1位になりました。
AJP20 77年
「すてきなサンデー」に変わってトップに立ったのはベイ・シティ・ローラーズ「恋のゲーム」、6月2週~7月5週まで8週連続1位、年間4位でした。
「二人だけのデート」の路線(個人的見解)でBCRの良さが出ている曲です。
次にこの時期のお気に入りナンバーですが、最初はタイトルにも付けたイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」です。
この曲はAJP20史上初の快挙を成し遂げています。
最高位は6月1~3週まで3週間2位、「恋のゲーム」に阻まれ1位にはなれませんでしたが年間ランキングでは見事1位を獲得。 AJP20開始以来11年目にして週間チャートで1位になっていない曲が年間1位を獲るのは初めての事でした。
AJP20カテゴリーでは1位曲名をタイトルに付けることにしていますが、年間1位曲に敬意を表して、特例として「ホテル・カリフォルニア」もタイトルに付け加えました。
次も1位を阻止されてしまった曲、アバの「ダンシング・クイーン」、6月4週~7月4週まで5週間2位をキープ、年間7位でした。
週間チャートではBCRに軍配が上がりましたが、以後、現在までの知名度は2位止まりのこの2曲の方が圧倒的に高いでしょう。 ”国民的洋楽”と言ってもいいくらいですね。
当時の僕はこの2曲に1位になって欲しかったのですが、どちらも叶わず残念でした。
最後はダリル・ホール&ジョン・オーツの日本での出世作「リッチ・ガール」です。
最高位は7月4週の12位でした。 このサウンドには何か新しいものを感じましたが、彼らはこの後暫く低迷、本当のブレイクは80年代に入ってからでした。