AJP20 81年
「愛のコリーダ」に変わってトップに立ったのはノーランズこの年3曲目の1位「夏は16才」です。
一度人気に火がつくと、それ一色になるというのは古今東西色々ありますが、日本の洋楽界もその傾向が非常に強いです。
「ときめきTWENTY」同様に、この曲も記憶の中に埋もれていましたが視聴して思い出しました。
8月2週~5週まで4週間1位、年間6位でした。
映像は懐かしい「夜のヒットスタジオ」です。
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AJP20-1981年 「セクシー・ミュージック」
AJP20 81年
「モダン・ガール」に変わってトップに立ったのはノーランズ「セクシー・ミュージック」。
5月2週~6月2週まで6週間1位、年間3位に入りました。 ノーランズの中では一番好きな曲です。
続いてこの時期のヒット曲を2曲。
まず、81年の一番のお気に入りといってもいいくらい好きな曲、REOスピードワゴン「涙のレター」。
意外にも1971年にデビューの古参バンド、ブレイク前は「アメリカで最も売れていないが、長続きしているバンド」と評されていたそうです。
バンド名の由来は、アメリカの自動車メーカー「レオ・モーター・カー・カンパニー」の1930年代に生産された「スピードワゴン 」からきています。
最高位は5月5週の2位、当時は1位になれずに残念な思いをしました。
最後はシーナ・イーストンの曲と同タイトルということで広く日本の音楽ファンに知られるようになったドリー・パートン「9時から5時まで」。
邦題ではシーナ・イーストンの方が「9to5」となっていて区別されています。
ドリー・パートンがカントリーソングの第一人者であることは知っていましたが、声を聞いたのはこの曲が初めてだったと思います。
ホイットニー・ヒューストンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」、オリヴィア・ニュートン・ジョンの「ジョリーン」は彼女の作品で、ソングライターとしての実力もなかなかのものですね。
AJP20-1981年 「ときめきTWENTY」
AJP20 81年
「夢みるNo.1」に変わってトップに立ったのはノーランズ「ときめきTWENTY」です。
81年もノーランズ人気は続きます。 原題はWho's Gonna Rock Youですし、曲の感じも邦題のイメージとは大分違います。
3月3週~4月2週まで4週間1位、年間13位でした。
続いて同時期のヒット曲を2曲お送りします。
まずポリスの「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」。 ”このタイトルは何なんだ?” と気になって何となくハマッテしまった曲です(笑)
最高位は3月2・4週の4位でした。
最後はハンガリーのバンド、ニュートン・ファミリーの「スマイル・アゲイン」。 本当のファミリーバンドではありません。 本国以外では日本で一番ヒットしたようです。
ファーストシングルの「サンタマリア」はディスコ調でしたが、こちらはバラードです。
最高位は3月4週の6位でした。
AJP20-1980年 「恋のハッピー・デート」
AJP20 80年
「ザナドゥ」に変わってトップに立ったのはノーランズ「恋のハッピー・デート」です。
「ダンシング・シスター」からわずか1週を挟んで次のシングルがトップに立つという人気振りでした。
12月1悠~4週、81年1月2・3週のトータル6週間1位 2年にまたがってのヒットだったので年間ランキングトップ20には入りませんでした。
、続いてバーブラ・ストライサンド「ウーマン・イン・ラヴ」を取り上げます。 自らが主演する映画の主題曲が多いバーブラですが、この曲はバリー・ギブがプロデュースしたアルバム「ギルティ」からのシングルです。
最高位は12月4週の2位でした。