AJP20 83年
「フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング」に変わってトップに立ったのはビリー・ジョエル「あの娘にアタック」。
「イノセントマン」というアルバムからのカッティング曲で、80年の「ガラスのニューヨーク」を思い出させる曲です。
当時LPを買いましたが今でもお気に入りのアルバムです。 特に「アップタウン・ガール」や「ロンゲスト・タイム」が好きです。
10月2~4週まで3週間1位、年間14位でした。
Tag:ビリー・ジョエル
AJP20-1982年 「プレッシャー」
AJP20 82年 最後のナンバーワンヒットです。
「素直になれなくて」に変わりトップに立ったのはビリー・ジョエル 「プレッシャー」 でした。
ビリーって新曲のたびに違ったものを出す多面性のあるアーティストですよね。
この曲も今までとは違ったタイプです。
11月4~12月3週まで4週間1位でした。
この時期のヒットをもう1曲。
アメリカ「風のマジック」 です。 このチャートでは75年の「金色の髪の少女」以来のトップテン入り、 12月2・3週に3位を記録しています。
AJP20-1981年 「ハート悲しく」
AJP20 81年
「ビリーズ・バーベキュー」に変わりトップに立ったのは「ハート悲しく」マーティ・バリン。
マーティ・バリンはAJP20では81年の新人歌手という扱いになっていますが、ネット情報によると60年代にジェファーソン・エアプレインのボーカルをしていたようです。
11月1・3・4週の3週間1位、年間9位でした。
この時期のヒットをもう1曲。
ビリー・ジョエルの「さよならハリウッド」です。 この曲は75年のアルバム「ニューヨーク物語」に収録されていますが、81年になって日本でヒットしたのは何故なんでしょう。 何かきっかけがあったんでしょうが、全く覚えていません。 ご存知の方いますか。
最高位は11月4週の5位でした。
AJP20-1980年 「ガラスのニューヨーク」&「マジック」
AJP20 80年
「ボディ・ランゲージ」に変わってトップに立ったのはビリー・ジョエル「ガラスのニューヨーク」です。
それまでの曲とイメージが変わり、よりロック色が強くなりました。 ファンの評価はどうなのか分りませんが、僕はこの曲も、収録されているアルバム「グラスハウス」も結構好きです。
5月2・3週と6月1~5週のトータル7週間1位、年間4位でした。
そしてビリー・ジョエルの連続1位を1週間阻んだのがディック・セント・ニクラウス「マジック」です。 この人のことは良く分らないのですが、日本だけのヒットだったようです。
5月4週1位、年間9位でした。
さらにこの時期のお気に入りを2曲。
まずはマイケル・ジャクソン「オフ・ザ・ウォール」。 彼の訃報が無ければこの記事は先週末にアップする予定でした。
僕が訪問しているブロガーさんや、そこに寄せられるコメントを見るとマイケルのファンではないけどこの曲が好き、という方が多いです。
最高位は6月5週の4位。 少年から大人になったカッコいいマイケルの登場でした。
最後はTOTO「99」。 ♪99~ の歌詞の直前に流れるピアノの音が好きです。 最高位は6月4・5週の10位でした。
AJP20-1979年 「オネスティ」
AJP20 79年
「ダンスに夢中」に変わってトップに立ったのはビリー・ジョエル「オネスティ」です。
6月1週・3週の2週間1位、年間8位でした。
"Honesty is such a lonely word
Everyone is so untrue"
”誠実は、とても寂しい言葉
みんな、とても不誠実”
この2行の歌詞を見ると、当時彼は人間関係の悩みがあったんだろうかと考えてしまいます。
しっとりとしたバラードですが歌詞を知ると切なさを感じる曲です。